ヴァージン・スーサイズ

ヴァージン・スーサイズ
ジェームズ・ウッズ
価格:¥ 3,945 (DVD)
(参考価格:¥ 5,040)
発売日:2001-02-02
おすすめ度 ★★★★☆
売り上げランキング:8538


1970年代、アメリカ郊外の静かな住宅地。両親は保守的で厳しいが、何不自由なく暮らす美しい5人姉妹の末娘が自殺を図る。そしてその死から1年も経たないうちに、残りの姉妹もすべて自殺してしまう…。姉妹に憧れていた少年たちが回想する形を取りながら、少女の危うさとエロチシズムを繊細な映像と音楽で描いている。 フランシス・フォード・コッポラの実娘ソフィア・コッポラの長編第1作であるこの映画、演出上の食い足りなさは残るものの、そこが妙に映画のテーマである少女性にマッチしていて、あやうくうっとりしてしまう。少年たちが電話を通して姉妹に70年代の切ないポップスを聴かせるシーンは印象的。キャスティングは秀逸。特に奔放な四女ラックスを演じたキルスティン・ダンスト(『スパイダーマン』)の美しさは出色だ。(茂木直美)

★★★★☆ 2007-01-19 これは少年たちの物語

 1970年代半ば、ハイスクールの数学教師リスボン氏の一家には10代の娘たちが5人いた。ある日、三女のボニーが自殺を図る。心理学者の勧めに従い、子供たちに世間とのつながりを積極的にもたせようとするリスボン夫妻。しかし、プロム・パーティで娘のひとりラックスが羽目をはずしてしまったことに怒って娘たちを自宅に軟禁してしまう。そして悲劇は起こった…。

 この映画は一見、10代の少女の閉塞感を描いた映画ですが、私は別の解釈をしました。この映画は10代の男の子たちを描いた作品なのです。というのもこの物語は、5人姉妹との記憶を25年もの間、折りにふれては反芻し続ける近所の男の子の視点で綴られています。だからこそ、5人の娘たちを自殺に追い込んだものが何だったのか、この映画は言い定めることができません。少年たちは、想像と妄想を膨らませることでしか、少女たちの姿を描くことができないからです。

 ラックスをパーティに誘うトリップは、校内でも抜群にもてる男の子です。フットボール選手でもある彼は、この物語を回想する少年たちのような凡人とは一線を画した存在です。だからこそ回想を重ねる少年たちには、トリップとラックスの間に本当に何があったのかも、知ることができません。

 映画は、少女たちを軟禁してしまう両親をことさら悪し様に描くことはしません。娘たちの自殺の原因が両親の苛酷なしつけにあるとも少年たちは言い切れないからです。

 人間は長く生きていると、あの時のあれはどういうことだったのだろうか、と思い返したくなる出来事がひとつならず人生のあちこちに転がるようになります。少年たちにとってそればリスボン家の5人の姉妹でした。
 彼らは今後も答の見つからない謎を抱えて人生を歩み続けていくことでしょう。それが生きていくということが見せる不思議な貌(かお)のひとつです。



★★★★★ 2007-01-16 甘くて苦い
舞台は穏やかで小さな町、父親は数学教師、母親は敬虔なクリスチャン。
平凡に見えた家庭に生まれた美しい5人姉妹たちの死の物語。

平凡に見えた家庭が徐々に壊れ、次々と逝ってしまった彼女たちに、
少しでも近づきたいと願った男の子たちのはかない追憶の断片たち。

映像や音楽が気だるくて、魅力的で、儚い。
ストーリーの好みは分かれると思いますが、私は好きです。

原作の小説も読みましたが、映画は監督が女性ということで、
さらに少女たちが魅力的でミステリアスに描かれていると感じました。

★★★★★ 2006-11-03 切ない
初めて見たとき、よく理解できず消化不良みたいな感覚でした。もぅ自分自身はティーンではないけれど少し感傷的な気分になってしまうときに、この映画を見てしまう。
答えなんてないけど彼女達が誰かの救いではなく自らの死を選んだ理由がわかる気がする。
思春期に抱く気持ちが痛々しいくらいに伝わる。
大人になってしまった人に見てもらいたい作品です。あと、キルスティンの危うげな目の演技がすばらしく良いです。

★★★★★ 2006-06-24 お気に入りに囲まれた憂鬱。

公開された頃、友人が「…好きじゃない。だから?ってかんじ」
といっていたのを思い出しながら、自分が観るまで数年。

映像が美しい。インテリアやファンションがステキ。
キルスティン・ダンスト、妖艶。ジョシュ・ハートネット、カッコイイ。
シーン毎に印象的な音楽。後日、サントラも買ってしまった。

自分的には、ストーリーやメッセージを考えても意味がないというか。
「同性なので分かる、全部分かるよ、そういうの。」ってカンジですかね。
この年齢の頃抱えている、出口のない、答えのない持て余し気味の、時々気が狂いそうになるほどの感情…って、
自分だけは一生抜け出せない、少なくとも忘れない感覚なんだろうなって、その頃は誰でも思っているのだと思うのですが、
私が【フィクション】として楽しめたのは、歳を経て、やはり例に漏れずいつの間にかそういう感覚を失ったのか、
あるいはそういった感情の揺れを自己で解決する手段を無意識に習得したのか。

フツーの大人になれるか、この姉妹のようになるかは、誰でも紙一重。
その只中にいる人は、きっとヒリヒリして観ていられない、
それを越えた“かつての少女たち”は、淋しさと同時に今の居場所を確認してどこかで安心している自分に気づく、そんな作品です。

映像や音楽の断片を、普段の日常の中でふと思い出す、そんな映画。
全然、キライじゃない。







★★★★★ 2006-03-18 因果
観始めてから15分で、内容の切なさと痛々しさに、めまいを催すほど心が沈んだ。 最終的には5人の娘が全員自殺するわけだが、その理由を関係のない第三者があれこれ考えるのは無意味である。現実としてこの世に存在するのは、5人もの美しい娘を失った両親と、それを死ぬまで永遠に忘れることができない幼なじみの男の子たち、そして彼女たちは自らの美しさを自ら捨て、無へと帰したということのみ。 因果という言葉がある。原因と結果。あるひとつの結果があれば、そこには必ず原因があり、あるひとつの原因があれば、のちに必ず結果が起こる。それは揺るぎのない事実である。だが、揺るがないのは「そこには因果があった」という客観的抽象的な事実だけで、ではその細部にわたる徹底的な因果の作用の仕方は、どんな天才にも解明できない。それがこの世の現実。 13歳の娘がまず自殺未遂をしたときに医者に「なぜそんなことをするのだ?まだ人生の苦しみも理解してないのに」と問われ、「先生は13歳の娘じゃないわ」と答えるシーンが印象に残った。 13歳の子供の心は、本人以外にはわからない。しかもそれは「本人にはわかる可能性がある」というだけで、本人さえも理解できるかは不明だ。そして、最後には、ある一人の人間の心は、それ以外の他人には絶対に理解できない、という事実のみが残る。 なぜある人間が自殺してしまったのか。その理由を解明しようとするよりも、その人間を失ったことによって、自分たちは何を感じ、何を学び、これから自分はどうやって生きて行くべきなのかを考えることのほうが重要なのではないだろうか?

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